過去への嫉妬か若さへの羨望か。
こんばんは
夜に書いているのでこんばんは。
お久しぶりでございます。
と述べても誰も見ていないとは思いますが。
もう、この場所は、何かむしゃくしゃした時に、考えを書き殴る、平穏を保つ為だけの場所になってしまいました。
まぁ、それも在り方として良いでしょう。
さて、今日は何についての話かというと、タイトル通り、大まかに嫉妬です。
最近の若者たちは、なんでも知っていて、なんでも出来て、簡単に自分なんぞ超えられているように思えてなりません。
情報量の差なのかなとも思いました。
私が小中高生の頃、全員が全員、スマホやパソコンを持っていたわけではありませんでしから、その差なのかなと。
しかし、それでは埋まらない何かがある。
それは、彼等、いや、わたしと他の人々との努力、歩んできた道の険しさなのでしょう。
もう、遠に20歳を過ぎ、アラサーと呼ばれる領域に足を踏みいれようとしている私ですが、なんとも、まぁ、生ぬるい人生を送ってきたなと思うのです。努力もせず、最低限、なんとか生きてきたようなそんな人間です。
「その若さでしっかりしていて素晴らしい」「わたしの若い頃はそんなにしっかりしていなかった。尊敬する。」
そんな言葉を世論で聴くと嫌気が差します。
もう褒められる歳ではないのに、嫉妬をしてしまう。ああ、同じように生を受けたにも関わらずここまで雲泥の差が出来るものかと。
過去に戻って私もやり直せば…なんて思うこともありましたが、この怠惰な考えな持ち主であるところの私が、時が戻ったとて努力するとは思えません。今、嫉妬している状況に置かれてもなお、なにも努力する気が起こらないのですから。
悔しい、嫌だ、辛い、なぜ彼等だけ持て囃されて。
抱いていい筈のない感情をずっと持ち続け、そして何もしない。
なぜ何もしないのか。
それは明確です。何かをしてしまって「出来ない」という事実を受け止めたくないからです。
やっていないから出来ていないだけ。
いつまでもそう言って、傷つくことを恐れて生きていくのです。
今までも、これからも。
書き出せば書き出すほど、醜い嫉妬に塗れ、よくぬけぬけと生きているなと思います。穀潰しという言葉の肌触りが気持ちいいです。
周りの人間が憎い、褒められて、認められて、楽しそうに生きて、努力したからこの場所にいると言えて、羨ましい。恨めしい。
と、なんかめちゃくちゃ病んだので、この辺にしときます。
明日も愚痴を吐き捨てながら、のうのうと生きていきます。ごめんなさい。ありがとうございます。
では
また。